
女性というのは、同性に好かれる女性と、異性に好かれる女性の二つに分かれるが、今回、テレクラで即ハメに成功した女の子が後者であったことはまず間違いない。
そして、私は彼女にとって異性であるのだから、私が彼女を好きにならないわけがない。およそほとんどの男性に好かれるであろうテレクラ女性と出会った瞬間だけは、私は、自分が女性ではなく男性であるということの喜びを最大限に感じることができるのだ。
異性に好かれる女性は、異性に好かれるということを前提とした人生を歩むことになる。生まれると同時にモテの人生を与えられた今回のテレクラ女性にとって、セックスというのは自分にとって伴侶ともいえるパートナーであり、欠かせないものである。
話を聞くと彼氏持ちであるということだが、彼女が一人の恋人を所有しているからといって、世の中の男性が彼女のような「異性に好かれる女性」を諦めることなど到底不可能だろう。私だって無理だ。
眼の前のテレクラ女性に恋人がいるからといって、この好みすぎるテレクラ女性とセックスがしたい、いや、絶対にセックスをしなければならないという強烈な気持ちを倫理観や理性で抑えるということは、とてもできやしない。
テレクラ女性としても、自分が異性に好かれる女性であるということを自覚しており、出会った男ぜんいんを魅了する自分の一挙一動によって男たちの理性が失われていくさまを楽しんでいる様子。おっとりとした笑顔の下にはとてつもない魔性が秘められている。
おっとりとした草食獣の仮面の下に隠した獰猛な性的猛禽類の彼女の魅力に反応しない男が、彼女は気に食わない。男受けがいい女なんて好きじゃないけどね、なんて言っている男が自分にメロメロになって、性欲ではちきれんばかりになる姿を見ると、彼女は欲情して股間を濡らす。また一人、男を性的魅力でくるわせることができた、と舌なめずりをする。
私のような男性は、そういう意味でいうと、彼女にとっては少々食い足りない、ありふれた食料のうちのひとつであった。とはいえ、ありふれているとはいえ、男ではある。自分の魅力に食いついてヤリたくなってしまうような男性は、ことごとく彼女のターゲットなのだ。
こんなふうに書くと、彼女が悪女のようだが、そうではない。彼女とセックスをすれば明らかだが、彼女はただただセックスとともに生きてきたせいで、セックスを根本的に骨の髄から愛しているだけなのだ。
チ○コというものが純粋に好きで好きで仕方ない彼女の行動は、多幸感に満ちたセックスという形で結実することになるだろう。同性に嫌われようが知ったことではない。自分を好いてくれる異性に、好いてくれたお礼として最高のセックスを提供する。これが、おそらくは、今回即アポに応じてくれたテレクラ女性の基本原則であったに違いない。
だから、喫茶店の会話のなかで緊縛プレイが好きだと漏らした私の要求を実現するために彼女はまったく躊躇しなかったのだし、むしろ積極的に緊縛されることで私のセックスが最高に気持ちいいものになるように配慮してくれたのだ。この心遣いに、私は全力のピストンで返答する必要があった。
ホテルに備えつけのフェイスタオルでテレクラ女性の両手首は縛られて、電気スタンドにくくりつけられていたから、彼女が自分の崩壊を支えるよすがのようにしがみついていた電気スタンドは、私がピストンするたびに揺れ動いた。
異性に好かれるタイプの女性には、異性に好かれるタイプの女性なりの苦悩がある。だから、そういった女性のあざとさなどを糾弾するのではなく、男性に好かれる女性である彼女の宿命を受け入れ、優しく愛撫してやらなければならない。
男性が男性として生まれた意味など、そのような愛撫の時間のなかでしか発生しないのではないか、それが異性愛者の男性に与えられた数少ない役割なのではないか、ということを、私はテレクラ女性のきつく締め上げてくる膣内にヘテロセクシャルな射精をしながら痛感していたのである。