
その男はリンリンハウスの熱心なユーザーだったのだし、彼が妻と出会ったのもリンリンハウスでのことだった。
結婚後、子供が産まれてからも変わらずリンリンハウスを使い続けていた彼は、やがて、リンリンハウスが陥った苦境であるところの「女性ユーザーの質の低下」によってテレクラ女性とする即アポ&即ハメやテレフォンセックスに対する興味を失っていく。
それは全面的な人間嫌悪へと繋がっていき、彼はついにリンリンハウスを利用することをやめることになるのだが、そのかわり、彼はリンリンハウスの精巧なミニチュア、人形のリンリンハウスを作ることに熱を入れ始めることになった。
このリンリンハウスの精巧なミニチュアを作るという父親の暗い情熱にはどこか偏執狂じみたところがあって、やがて、彼はリンリンハウスを利用していたとき以上にリンリンハウスというものに固執するようになっていった。
リンリンハウスのミニチュアのためなら彼はあらゆる労力や出費を惜しまなかったのだし、リンリンハウスのミニチュアづくりに没頭するあまり、勤務中にリンリンハウスのミニチュアのことを考えてミスを連発したことが原因で長らく淡々と勤めてきた仕事をやめることにもなった。
取り返しのつかないミスをしたとき、彼はリンリンハウスのシンボルであるあの黄色い看板をどのように縮小化して再現するか、ということばかり考えていたと言われている。
リンリンハウスに執着し、ついに職を失うにまでいたった父親を、当然ながら子供たちは疎んじていくようになっていったし、愛想を尽かした妻はやがて家を出ていくことになった。
しかし、そんなことでリンリンハウスのミニチュアづくりへの熱情が冷める彼ではなかった。むしろ、職を失って自由時間が増えたことによって小さなリンリンハウスのために使える時間が充分にとれることを喜んだほどだった。
リンリンハウスのミニチュアは、リンリンハウスが入っている繁華街のビルのミニチュアを作るところから始まった。そのビルの大きさに関しては、5段チェストほどのものを想像してもらえればよいだろう。
縮尺鉄筋を組み立てセメントを流し込むことでつくられた5階建てのビルは階層ごとに薄手のガラスなどをはめ込まれてその外見を整えていき、リンリンハウスを入れる予定であった3階部分は、天井と壁面が取り外せるように設計された。4階より上の部分を取り外すと、俯瞰してリンリンハウスの店内が見えるという仕組みだ。
まずは、リンリンハウスが入っている小さなビルの、リンリンハウス以外のテナントを充実させる必要もあった。そのため、彼はリンリンハウスの黄色く光るネオン看板だけでなく、漫画喫茶、チェーンの牛丼屋やラーメン店、個室ビデオ店の看板なども特注で制作する必要にかられた。
それはリンリンハウスとは直接的には関係のない作業であったため、あまり乗り気にはなれなかったのだが、リンリンハウスをとりまく景観も込みでリンリンハウスなのである、と言い聞かせて、彼はリンリンハウス周辺の環境を精巧に整えていった。
リンリンハウスの外装の特徴でもある値段表や、電球の連なりによる照明などに対しても彼は一切の妥協を示さなかった。看板の周りをとりかこむ超小型白色電球を準備するための顕微鏡的な細かい作業を終える頃、彼は視力を何段階か落としてもいた。
それでも、リンリンハウスが入ることになるビルの、すべてのテナントの外装を整え、リンリンハウスの看板を光らせることに成功した彼は、その弱くなった視力の眼をうっとりと細めて、その出来に満足したようであった。
そのリンリンハウスの外装は、彼が巡ってきた各地のリンリンハウスの諸特徴がごちゃまぜにコラージュされたもので、どの支店のリンリンハウスとも違うものではあるのだが、あらゆるリンリンハウスの記憶を喚起させる見事な出来栄えであったといえる。
小さなリンリンハウスが地獄の業火に焼かれて
しかし、彼のリンリンハウスのミニチュア作成は、外装を整えただけで終わるというものではない。リンリンハウスの内部が彼を待っていた以上、彼はいつまでも外装を眺めてうっとりしているわけにはいかなかった。むしろ、彼にとって本格的なミニチュア作成はこれからだった。
リンリンハウスの内部は、何もない打ちっぱなしのコンクリートの空間を区切り、個室を振り分けていくところから始められた。
縮小された固定電話やテレビ、メモ帳、ゴミ箱、デスクトップPCやその周辺機器、DVDプレイヤー、ティッシュ箱、カウチソファ、リクライニングソファ、マット、密室用の扉および個室の鍵などを、個室の数だけくまなく用意しなければならないのだと考えると、常人であれば気が遠くなるところであるが、彼はありていにいって気が狂っていたので、俄然やる気を出す結果となった。
電気技術者の友人などのつてをたよって超小型のテレビジョンや固定電話、超小型PCやDVDプレイヤーなどの調達をし、電気配線を細かく整備していくのにはひどく骨が折れたが、かつて自分がそこに入り浸って素人女性に即アポをしかけたりテレフォンセックスに及んだ個室の縮小版が次第に充実していく過程は、彼に即ハメの快楽以上の快楽を与えた。
彼を大いに悩ませた工程の一つとして、店内のDVD棚に置かれる大量のDVDを詳細に用意する、というのも挙げておかなければならないだろう。棚を埋める分のディスク(それらの極小ディスクを再生させることは、さすがに彼の手に余った)や、入れ子状のプラスチックケースなどを用意し、それらの細部を整え、アダルトビデオのジャケットの縮小版の紙片を一枚一枚入れていく地味な作業は、彼の寿命を確実に縮めることになったに違いない。
フロントやシャワールーム、個室と個室の間の通路のインテリアなどの調度品を整えることは、DVDを用意する作業などに比べるといくらか楽であった。
人形のリンリンハウスはまさに完成に近づきつつあり、あとは、店内にリンリンハウスを利用するテレクラユーザーとフロントのスタッフを用意するだけだったのだが、彼は、自身が作成した完全に閉じられた小宇宙である人形のリンリンハウスに、「人」が介在することを決して許さなかった。
彼自身、何かしらの方法で自分の肉体が縮小化されてそのリンリンハウスのなかを自由に動き回っていい、と言われても、拒否することになっただろう。この小さなリンリンハウスには、テレクラユーザーもテレクラ女性も存在してはならないのだ。
彼の手元には、個室番号ごとに振り分けられたボタンがあり、彼がこのボタンを押すと、押された番号の個室の固定電話がコール音を鳴らす仕組みになっている。彼は、テレクラユーザー不在の自分の王国、人形のリンリンハウスの電話を一斉に鳴らすと、喜悦の笑みを浮かべた。誰からのコールでもなく、また、それらのコールを受ける誰もいない空間に響き渡る音を聞きながら、彼の股間は滲み出る精液でしとどに濡れてもいただろう。
彼が人形のリンリンハウスを完成させるためには十年近い歳月がかかったと言われている。その間に、彼が人形のリンリンハウスを作るための入れ物でしかなくなった「家」からは、すっかり自立する年齢になっていた彼の子供たちもいなくなっていた。
家のなかには、彼と、テレクラユーザー不在の小さなリンリンハウスだけが残されることになったのだが、彼は自分が作ったリンリンハウスのコールを鳴らし続けることに夢中になって、自分とリンリンハウスだけが残ったことにはまるで気づいていない様子だった。
とはいえ、リンリンハウスの作成以外に無頓着で不摂生を極めた彼の部屋にはゴキブリなども住み着いていたので、彼の家には人形のリンリンハウスだけが残されていたわけではなかった。
ひとしきり人形のリンリンハウスで遊び疲れた彼が寝落ちしたあとなど、暗く静まり返った人形のリンリンハウスの通路をゴキブリが走り回ることなどもあったようだ。ミニチュア内で動き回るために巨大に見える害虫のその異様な光景を、彼は目覚めたあとに監視カメラの映像として見ることにもなった。
彼はリンリンハウスのミニチュアのなかに世界のすべてを閉じ込めることに成功したのだろうか。
実年齢よりすっかり老け込み、耄碌しながらリンリンハウス遊びを楽しんだあとの深い眠りの中で、彼はその生涯を終えようとしていた。眠り込む彼の横には5段チェストほどのビルが黄色い光を放っていたのだし、その室内では、誰もボタンを押すものがいないにも関わらずけたたましいコール音が一斉に鳴り響いていた。彼が眠りとともに降りた冥府の階段の先に広がる光景は、やはり、リンリンハウスの店内であったか。
死にゆく彼のかたわらで、人形のリンリンハウスの密室は業火に焼かれて激しく燃え上がっていた。