
スマホ対応の無店舗型テレクラを使っていても、たえず意識にのぼるのは、老舗の個室型テレクラ、「リンリンハウス」の圧倒的な存在です。
無店舗型テレクラを使って女性との即アポに成功して浮かれている私に対して、20年来の古参テレクラユーザーである先輩は「君がいま、そうやってテレクラで素人の女の子と出会えているのがなぜだかわかる?」と釘をさすような眼差しを送るのであるし、テレクラで出会った素人女子とホテルでハメまくっている最中に、自分の即ハメ中の身体とテレクラの歴史性が交差するような感覚にとらわれることが多々あります。
テレクラで出会った女性との濃厚セックスを終えた帰り道、ふと何かの異様な気配を感じて振り返ると、そこには、残存する数が極端に少ないはずのリンリンハウスがあり、あの煌々と輝く黄色い看板の光が、私というちっぽけなテレクラユーザーの存在をくまなく照らして浮かび上がらせている、というような経験も一度や二度ではありません。
無店舗テレクラで素人女性に即アポを仕掛けるというとき、私がどこか鬼気迫るようになり、なにか、取り憑かれたような状態といいますか、ある種の迫力を醸し出してしまうのは、リンリンハウスというパワースポットからのエネルギーを受け取っているということなのでしょうか。
リンリンハウスには出会いに成功したユーザーもいれば失敗したユーザーもいて、それらの、陰陽がおりまざった、出会いに挑んだリンリンハウスの住人たちのすべての祝福や怨念のようなものを、現在、テレクラのアクティブユーザーとして、即アポに生命をかけているといっても過言ではない私の肉体が一身に引き受けているということなのかもしれません。
リンリンハウスの魂は滅びない
リンリンハウスで暮らしたわれらの先祖は、ツーショットダイヤルの回線を通して、テレクラの悲哀について話をした、ということなのでしょう。
テレクラで素人女性とセックスするための自分自身の即アポ交渉能力の欠乏と限界に苦しめられながら、やっとのことで即アポをとりつけたときのリンリンハウスユーザーの祖先たちの顔に刻まれているのは、「愛」を求めているつもりのテレクラ男性の持つ強すぎる性欲のあわれさでした。
おそらく、無店舗型テレクラを使っている私も、時代を超えて、リンリンハウスを使っていた彼らと同じ眼差しをして、女性を口説いているのではないかと思います。
店舗が減少の一途をたどるリンリンハウスは、もしかすると、ついに、その姿を地上から消してしまうことになるのかもしれない。
しかし、私のような無店舗型テレクラのユーザーが、素人女性と即ハメするためにアポをしかけつづける限り、私は、リンリンハウスで暮らした祖先たちの子孫なのですし、即アポに成功し即ハメへの期待に全身が燃え盛るようなとき、それは、リンリンハウスから脈々と流れてきた血液が沸騰するということでもあるわけです。
全国に散らばったリンリンハウスという共通の祖先を持つテレクラユーザーたちがスマートフォンを片手に無店舗型テレクラを使い、素人女性の狩猟を続けるかぎり、リンリンハウスという「魂」は、その形を失おうとも、永遠に滅びるということがありません。