
今日のラッキーアイテムは「テレクラ」、そんな占い結果は出るはずもないのだけれど、幸運を呼ぶ鍵が「新しいことに挑戦すること」だったならば、確かに、占いの結果に突き動かされて「テレクラを使ってみよう」と考えてしまう女の子もいるのかもしれない。
というか、実際いたのだ。そればかりか、占いの結果を見てテレクラを使ってみた女の子との出会い交渉に成功し、即ハメまでしてきたのだから、どこの占い師だか知らないが、彼女をテレクラにまで導いた占い結果には感謝しかない。
占いというのは、当たるか当たらないかが重要なのではなく、行動の示唆となるヒントを与えるという点が何よりも重要なのである。だから、占い結果を「テレクラ」にせず、行動の示唆となりうる「新しいことに挑戦すること」にした占い師の目論見は、じつに正しい。
ただ、その受け取り手となった女の子が、まさか自分の占い結果を見て「テレクラを使おう」という意志を持ってしまうなんてことは、きっと、占い師も想像していなかったはずである。
しかし、テレクラというものを使っていると実感するのだが、テレクラにおける出会いやセックスというのもいわば占いのようなものである。
私は、テレクラで出会う女の子との一連のセックスを「易経」を通して素人の生兵法で考えるクセがついているので、占いに導かれるままにセックスを選んだ今回の女の子は、私と同質のテレクラユーザーであるのかもしれない。
まずは待ち合わせ場所。彼女が指定してきたのは大都会の真ん中の橋の上。これは八卦でいうと「乾」にあたるだろう。だが、それが橋の上である以上「艮」でもあるし、大通り沿いであることを考慮するならば「巽」でもある。待ち合わせ時間はちょうどお昼時であったから「離」になる。
こういった八卦のうちの少なくとも四つの象が複合的に重なりあう状態でテレクラ女性と待ち合わせたというところから、私はその日の即ハメがどのようなものになるのかをぼんやりと占う。
ショートカットの利発そうで爽やかなテレクラ女性の、テレクラを使うタイプからはかけ離れたあまりにも眩しい印象と美貌に眼を細めながら、私が彼女の身体のうえにも八卦で占いをしかけていることを、彼女はおそらく知る由もないだろう。
彼女は美人であるから「離」であり、占いを使ってテレクラを使う変わり者という意味では「艮」を兼ねている。しかし、テレクラセックスをすることを考えると「兌」になる可能性を秘めているのだし、彼女はセックスを通して確かに「兌」になった。
「兌」のなかには口でする性行為であるフェラチオが含まれているから、彼女が「兌」であることを自覚させるために、口内射精は必須であろう。
天気はよく晴れており「乾」、ラブホテルの室内は午後の日差しをゆったりと浴びて時間帯は「坤」、だから、私達はひだまりのなかで午睡を貪るかのような穏やかなセックスを繰り広げたともいえる。
だが、彼女の黄色いパンティを静かに優しく愛撫する前戯の時間がいくら穏やかな「坤」であっても、セックスの末路はいつだって荒れ狂う「震」でなければならないだろう。
ペニスは「艮」であり、ヴァギナは「坎」である。「坎」は性病も象意するから、テレクラ女性の「坎」に「艮」を挿入し、それを前後させた結果として、私の身体が「坎」の病象にならないようにただひたすら祈る、というのがテレクラセックスの常である。
「艮(コン)」と「坎(カン)」の結合と接触と激しい前後は、艮坎艮坎艮坎艮坎艮坎艮坎艮坎という激しい音を立てるが、これはコンカンコンカンというよりパンパンパンパンという小気味良い音をたてるだろう。
「艮」と「坎」の混じり合いのなかで、「コン」と「カン」という音を持つ文字が、それぞれ区別がつかなくなりながら「パン」という音に統一されていく、というのも、セックスの面白いところだろうか。八卦のまじわり、八卦のセックス。
経験人数がそれほど多くはないという貧乳の彼女は、はじめ、あまり喘ぎ声というものを出さなかったのだが、バックから激しく突き上げることによってだんだんと喘ぎ声を出すということを覚えたようで、セックスはどんどん「震」になっていく。
「艮」でもって「坎」を塞ぎ、「艮」一本でテレクラ女性を支配する私は、セックス中、完全に「乾」の人格である威厳を獲得することになる。英雄好色ではないが、「乾」となった私と「兌」になったテレクラ女性の「艮」と「坎」の相性は抜群である。
私は、テレクラ女性の腹の上に精液を放った。その射精によって描き出された偶然性の白濁の散らばりが、また私に新たな占い結果を読み取らせようとする。新しい象が組み合わさリ、テレクラ女性はセックスのなかで占い結果を無限に変化させつづける。生々流転テレクラセックス。
あたるも八卦、あたらぬも八卦。セックス中に彼女の肉体の表面に現れたあらゆる占い結果が、今回のセックスが当たりであったことを私に告げていた。濃厚射精をしながら芽生えた私の願いはただ一つであり、それは、彼女がテレクラを使いたいと感じるような占いに再びめぐりあってほしい、というものであった。