
たわわで柔らかな乳房、おのれのふくらみを主張してやまないが決して形が醜いのではない尻、それらをしかるべき場所に配置しより魅力的に輝かせる均整のとれた全身のスタイルと、いつまでも撫で回していられるようななめらかな肌質、苦言を呈する場所を見つけることの方が難しいような整った美貌の顔、その表面的な外見の魅力とぴったり寄り添うようなイメージどおりの高すぎず低すぎない声、それから、セックスを愛してやまないために歓喜を表明することを決してはばからないエロすぎるおおらかな性格。
これらの特徴をすべて奇跡的に持ち合わせた極上のテレクラ女性と私がついさきほどテレクラセックスをしてきたばかりだ、ということを書いたならば、もはやテレクラ体験談として書くべきことは何も残ってはいないのではないだろうか。
なるほど、たしかにテレクラ女性が身にまとっていた丈の短いグレーのノースリーブワンピースのタイトさが、テレクラ女性の汗ばんだ乳房と尻の輪郭を際立たせていたことを書くことには確かに意味があるかもしれない。
ラブホテルの窓際でテレクラ女性に前かがみになってもらい、ベッドに座った私がテレクラ女性の丈の短いワンピースの裾からシルクのエメラルドグリーンのパンティの恥じらいの顔をわずかに覗き見たときの静かな性的興奮について触れることも決して無駄であるとはいえまい。
それに、テレクラ女性のタイトなノースリーブワンピースの胸元が大胆にカットされて開かれており、テレクラ女性の豊満な乳房の谷間をセックスを開始する前から存分に眺めることができたことや、眺めるばかりでなく、テレクラ女性の胸の谷間に人差し指を降下させた大冒険と、その谷間のなかで人差し指を左右に動かしてテレクラ女性の乳房の食感を食前酒的に味わったときに私が経験した勃起を無視してテレクラ体験談を書きすすめることはできないだろう。
また、テレクラ女性の性的魅力の前に完全に屈服し抗えなくなった私が、いてもたってもいられなくなり、テレクラ女性が身にまとっていたノースリーブワンピースを荒々しく脱がせにかかったときの性急さであるとか、私の手によってワンピースを脱がされたテレクラ女性が上下にみにまとっていたエメラルドグリーンの下着姿の、完全着衣時とは質感がまるで違うともすると全裸以上に性的喚起力に満ちた肉体の印象について、また、四つん這いになったテレクラ女性の下着に覆われていない皮膚の表面を指先でなぞったときに訪れた触覚的な心地よさについて、体験談の本筋から外れることを覚悟してでも詳細に記述することは、すべての男性を魅了してやまない奇跡的なテレクラ女性とテレクラセックスをし、そのテレクラセックスについて報告しようとする記述者にとって義務であるとさえ言えるのかもしれない。
ブラジャーとパンティをはぎとったあともテレクラ女性の靴は履かせたままであったという私のこだわりであるとか、テレクラ女性の乳房や乳房にむしゃぶりつき、同時に、空いたほうの乳房を手で揉みしだき、親指と人差指の間で挟むという貪欲さも見せつけながら、私の眼に飛び込んできたテレクラ女性のネックレスの真珠とダイヤの連なりについて触れないわけにもいかないのではないか、という意見に対しては、私も積極的に、そうだ、そのとおりだ、という返事をすることになるはずだ。
クンニリングスをしたときに鼻孔が嗅ぎ取ったテレクラ女性の女性器と尻の穴の混じりあったにおいや舌先が味わった女性器の塩気、それから、舌先の刺激にあわせて漏れつづけたテレクラ女性の喘ぎ声について持ちうるすべての能力を注ぎ込んで言語化を試みるということが、テレクラを利用し、テレクラ女性とセックスをし、テレクラ女性とのテレクラセックスの体験談を書く男性にとって、これ以上ないほど挑戦のしがいがある領域であるということもあらためて言うまでもないだろう。
それから、テレクラ女性による熱心かつ重点的な、男性器や乳首に対する口や舌などを使った奉仕の、その巧みなテクニックの賞賛と、すばらしい仕事だけが可能にする途方もない快楽の提供に対する感謝を忘れ、それをテレクラ体験談に書き残すことをもし失念するというのであれば、私は二度とテレクラ体験談などを書くべきではないのだし、それに、テレクラセックスはもちろんのこと、テレクラに電話をすること自体金輪際やめるべきであるだろう。
しかし、それでもやはり、私はもはやテレクラ体験談に何も書くことができないのである。テレクラ女性と様々な体位を試しながらした女性器への挿入によってもたらされた快楽を前に、私はただただ自分の無力を痛感しながら言葉を失うことしかできないのである。
それほど彼女の女性器の締めつけと内部のとろみは優れていたのだ、などといくら書いたところで、私の陰茎が実際にテレクラ女性の女性器から受け取った締めつけや内部のとろみに到達することはないのだ、という書くことの不可能性と対象と言葉の不一致が私の記述を虚しいものにする。
騎乗位になったときの彼女の全身から伝わる重量を恩寵として認識し、その恩寵が具体化したような乳房を揉みしだきながら激しく腰を突き上げたときの私は、もはや、キーボードを叩きながらテレクラ体験談を書いているここには存在しておらず、私は、ただただ言葉なしで無媒介的にテレクラ女性とセックスしていたあのときの私に嫉妬し、すでに失われて過ぎ去った回想の時間を羨望することしかできないのである。
私にとってテレクラセックスは正常位でピストンをしている最中にテレクラ女性の乳房が揺らしている時間にしかなく、彼女が激しく喘ぎながら乳房を揺らしていたと書くこの時間はテレクラセックスにはなりえないのだ。