
世の中は美男美女のカップルばかりではない。街を歩いていれば「なんでこんなかわいい女性の横にこんな男が……」という疑問が生じるのを避けられない組み合わせは無数に眼につく。
たとえば、自分が誰かと待ち合わせをしているときに、すこし離れたところに顔立ちの整ったきれいな女性がいるとしよう。
彼女はスマートフォンをいじったり、腰掛けた鉄柵が臀部に食い込む痛みを軽減するために、その柔らかい性的魅力に満ちた尻を浮かし、座り直す、ということを繰り返している。
それを眺める男性は「こんなかわいい人を待たせているのは一体どんな人なのだろう」という興味関心がボンヤリと芽生えてくるのを避けることができないだろう。
すると、その清楚な印象も強いきれいな女性のもとに、どう考えてもその女性とは釣り合いのとれないような凡庸な男、あるいは、凡庸以下の醜いチンカス男が現れ、迷いもなく彼女のもとへと向かっていき、挨拶をして二、三の言葉を交わしたのちに、二人で街の雑踏へ消えていく。それを目撃した男性のショックは計り知れないものがあるのではないか。
すべての美女とチンカス男の組み合わせがそうであるとまではいえないのだが、不釣り合いな男女の組み合わせを目撃した場合、それが「テレクラユーザーの男性とテレクラ女性の組み合わせ」である可能性が高いということは確かであるように思われる。
なぜなら、私がまさにそうだからだ。じつのところ、先ほど記述した美しい女性の前に突如あらわれることになった、彼女とは不釣り合いなチンカス男というのは、私のことである。
テレクラというものは、普通に生きていたらおそらく会話を交わすこともないであろう男女を出会わせ、セックスをさせるものなのだ。私のような人としての魅力がまるでない男性が、街のすべての男性が羨み思わず振り返るような美貌を持つ女性と出会い、セックスができるのは、ひとえにテレクラのおかげにほかならない。
待ち合わせ場所から街の雑踏へと消えた私達は、並んで歩きながらラブホテルを目指していた。
薄いピンクのノースリーブワンピに身を包んだ美しい女性の隣に、私のようなヒトよりも猿に近いツラの男がいるという奇妙な組み合わせ、しかし、拭いがたい現実を目撃することによって、すれ違う人たちの頭のうえに大きなクエスチョンマークが浮かんだことはまず間違いないだろう。
ラブホテルに消えていく私たちを目撃する男性のなかには、「なんという不条理だ!あんなにエロかわいい女性と、おぞましい精子が肉体化したような下品な男がこれからセックスをするなんて!」といって、その場で膝をついて天を仰いで慨嘆するような非モテ男性もいたかもしれない。
ともかくも、今回アポに成功したテレクラ女性というのは、それほどに魅力的であったのである。十人並み以下の顔立ちであり、ファッションセンスも悪く、およそ外見だけからは「モテ」に繋がるような要素を一切持たない私にとって、こういったテレクラ女性が私に出会ってくれるばかりでなくセックスまでしてくれるというのは、まったくありがたい話である。
「なんであんなにかわいい女の子があんな男と?!」と驚き続けている限り「あんなかわいい女の子」とセックスすることはできない。そんなことで驚いている暇があるならば、その驚きの対象である「あんな男」になればいいだけだ。
そして、その方法は実に簡単であり、テレクラに登録し、ツーショットダイヤルでナンパをすればいいだけなのだ。今すぐに、誰だって驚きの対象である「あんな男」になることができるのだ。
だが、多くの男性は、そのことに気づかない。テレクラというものを知らないまま一生を終えることになる男性は、その一生をかけて「なんであんな男が?!」と驚き続けながら、自分とそれほど違わない男に嫉妬しつづけることしかできない。
その卵型の美しい輪郭を活かしたワンレンの髪型がよく似合う美貌のテレクラ女性にクンニリングスを施したり、逆に乳首いじりフェラチオを施されたりしながら、私は「私とこの女性の組み合わせは、テレクラ上においてはあまりにも当たり前のことであり、なんの驚きもないありふれた関係なのだ」と考えていた。
実際、今回出会いに成功したテレクラ女性と同程度にかわいい女性とのセックスを、私はテレクラを利用するようになってから何度も経験している。
はじめは驚きの連続であった。それこそ、まだ「驚いている連中」の延長線上にいた自分は、待ち合わせ場所からラブホテルの移動、そして、ラブホテルでのセックスの間、まだ「俺みたいな男がなんでこんなかわいい女の子とセックスできているんだ……」と自分で自分に驚いていたのだが、最近は、そういった当初の驚きはすっかりなくなっているということに気付かされる。
テレクラを使い始めて、数回ほど美貌のテレクラ女性とセックスをすれば、おのずと「テレクラを使っていれば、こういったセックスは平均的な出来事として自分に与えられているのだから、驚くに値するものはなにもない」という考えに移行していくことになる。この考えが固定化されることによって、いよいよ「驚いている連中」とは一線を画した男性になるといえるだろう。
これは「新鮮さの喪失」や「マンネリ」などでは決してない。待ち合わせ場所にあらわれるテレクラ女性のルックスが優れていれば「おお、これからこんなかわいい女の子とセックスができるのか」という喜びは毎回のように到来するのだし、実際、ラブホテルに入ってからのテレクラセックスを通して得られる快楽に関しては、まだまだ驚き続けている自分がいるのも確か。
驚かなくなったのは「なんでこんなかわいい女の子が」と「なんで俺みたいな男が」という二つのことだけなのである。
挿入時に怯えたような表情を見せて、それでも挿入と同時にホッと安堵するような声音でこくりと頷いて私の「入った?」という問いに答えるテレクラ女性のかわいさなどは、私にとってはたまらなく新鮮な驚きなのである。
口をぎゅっとつむぎながらも喘ぎ声を漏らすことを止められないテレクラ女性のかわいらしさに感動し、驚きとともにピストン運動ができなくなったのならば、テレクラなどを使う理由もまったくないということになる。
惰性で退屈なセックスを繰り返している、このセックスにはもはや何の驚きも感動もないと感じたならば、今すぐにでもテレクラを使うのをやめて、テレクラセックス以外の快楽を求めたほうがいいだろう。
今のところ、私のテレクラセックスは感動的な快楽に支配されている。この喜びが続くかぎりは、私はテレクラを使うことも、テレクラセックスも決してやめるということはないのだし、いままさにテレクラ美女とのテレクラセックスの渦中にある自分を誰よりも幸福な人間であると全身の隅々まで感じることができるのだ。
「テレクラを利用するものは、幸いである。美しい女たちとのセックスは、テレクラユーザーのものである。」、テレクラ女性に膣内射精をする私の脳裏では、いつもこの福音が鳴り響いている。