
テレクラを利用する女性に求めているのは素人感である。セックスはたどたどしく不慣れであるほどにいいものになる。
およそ素人離れしたテクニックなどをテレクラ女性に求めるのは、私は好まない。そういったプロ顔負けの素人女性とのセックスを求めるテレクラ男性もいるようではあるが、素人感を大事にする私には、そういった嗜好はあまりよく理解できない。
今回の即アポで成功した女の子は素人感という観点からいうと百点満点の女の子であり、セックスはぎこちなく、パフォーマンスとしてあげているとしか思えないような喘ぎ声をあげることもない。
「どこでそんなセックスを覚えてきたんだ?」という驚きの疑問を問いかけてしまうような卓越した腰使いなどはもちろんない。
おそらく、多く見積もっても片手の指で足りるであろう、経験人数が透けて見えるようなセックスがたまらなくいい。
いや。彼女が性豪であり、セックスの経験は私が想像するより遥かに多く、実は優れたセックステクニックを持っており、そして、プレイ内容に応じた喘ぎ声のバリエーションも訓練された声優ほど豊かでありセックスにおける場面ごとに細かく駆使してみせることができるという可能性も考慮しなければならない。
もしかすると、彼女は私が想像するよりはるかにレベルが高いセックスを自由自在に操れるテレクラ女性であるのかもしれず、ツーショットダイヤルで素人感を何よりも好む私の性癖にめざとく気づき、意図的に素人感を演じきっているのかもしれない。
彼女がそのようなテレクラ女性であったとするならば、「セックスに不慣れ女性」を演じきってみせる彼女のセックス演技力はじつにおそろしいものであるということにもなろう。
私は素人感を大事にしているだけであり、セックスが上手な女性を相手にしてもドン引きしたりはしないのだが、世の中にはセックスが上手すぎることで相手の女性に幻滅するような男性もいるらしい。
そういう男性を相手にしたセックスにおいては、女性はわざと下手なセックスをしなければならず、いかに本当らしく下手にするかで相当に苦心すると聞いたことがある。
目の前の素人女性のセックスが、ヘタヘタのセックスではなくて、実は高度な技術を前提としたうえで成立するヘタウマのセックスであるかどうか、ということは、素人感を大事にする私の見極めが毎回問われるところである。
パイズリを要求したときの対応や、パイズリの実践。また、ハメ撮りに対する抵抗や、ハメ撮りのためのカメラに自分がどのようにうつっているかという自己意識などは、セックスの真偽を見極める私に与えられたかなり重要な情報である。
今回のテレクラ女性の素人感が、では、そういった情報から判断してどうだったか、というと、正直なところ、その判断がかなり難しいという情けない回答を出すことしかできなかったというのも事実。
それほどまでに彼女のテレクラセックスはぎこちなかった。わざと下手にやっているという素振りをほとんど見せない下手さに貫かれており、もしこれを演技でやっているとしたら相当のしたたか者であるということになるが、そうでなかったとしたら本当にセックスをよく知らない素人女性ということになる。
本当の素人女か、それとも演じられた素人女か。私は、バックでテレクラ女性を激しく突きながら、膣奥に対する男性器のひとつきごとに、花占いをするように「素人、素人じゃない」という二択を繰り返し、ついに結論が出ないまま膣内射精をほとばしらせることになる。
精液を放つ瞬間はいつだって頭が真っ白になる。腰の速度もあがっているから、花占い的二択もそれにともなって激しく速度をましていく。
だから、射精の瞬間に、花占い的ピストンの結果が「素人女」だったのか「素人女でなかったか」ということはよくわからなくなってしまうのだし、すでにピストンが終わっているがビュッビュッビュッと何度も躍動しながら精を放つときも花占いは進行してしまうのである。
そして、膣内射精という快楽の渦中にあっては、目の前の女性が素人女性であるかいなか、ということは正直なところどうでもいいのであって、ペニスを引き抜いてベッドに横たわるときは、彼女が素人女性であろうとなかろうと、彼女の膣のなかの感触が最高であったのだから、そもそもそんなことにこだわっていること自体が馬鹿らしくくだらなかったのではないか、と考えてしまうのである。