
『TOKYOゼロ円リンリンハウス』は、「店舗型テレクラ」のリンリンハウスを使っていたテレクラのヘヴィユーザーが、時間と場所を選ばない「無店舗型テレクラ」という新しいテレクラの形態に移行してから、スマートフォン一つでみずからのリンリンハウスを建設していくまでを取材した記録や、テレクラに関する著者独自の「テレクラ哲学」とでも呼びたくなるような思考が語られています。
『TOKYOゼロ円リンリンハウス』は全6章で構成されており、それぞれの章の見出しを羅列すると、以下のようになります。
- 第1章 総工費0円のリンリンハウス
- 第2章 0円即アポの方法
- 第3章 黄色の看板
- 第4章 セックスしないセックス
- 第5章 路上のリンリンハウスの調査
- 第6章 理想のリンリンハウスの探求
第1章では、ミニマリストとしての生活の追求から、スマートフォンさえあれば家賃を払って住む「家」は必要ないと判断して路上生活に突入し、無店舗型テレクラの利用以外のすべての無駄を断ち切り、みずからが住む「リンリンハウス」を河川敷に建築するにいたったあるテレクラユーザーについての紹介がなされます。
第2章では、長らくリンリンハウスを使い続けて培ってきた交渉のテクニックを活かして、無店舗型テレクラの登録時にサービスされる「無料体験」のみで即アポを成功させる「0円即アポ」の達人が登場します。
第3章は、リンリンハウスの熱心な利用者である著者がこれまで撮影してきた各地のリンリンハウスの「黄色い看板」の写真が多数掲載されており、それらの写真の記憶を中心にして、個人が包括的な把握をすることが不可能なリンリンハウスの歴史を、著者の個人史と絡めながら可能な限り探っていく章となっています。
その「黄色い看板」の写真のなかには、すでに存在しないリンリンハウスの看板なども散見され、リンリンハウスを語る上での第一級の資料集としての価値があります。
そればかりでなく、著者のリンリンハウスの記憶と、読者のリンリンハウスの記憶とが、すでに存在しないリンリンハウスの「黄色い看板」の光が失われた過去から照射されて、「今」のフィールドで反響しあうように読めるテキストもあり、読者のリンリンハウスの利用度に応じて興味深く読むことができるでしょう。
第4章の「セックスしないセックス」においては、「テレフォンセックス」についての様々な考察がなされます。リンリンハウスを主軸とした著作ですから、「テレフォンセックス」についてはやや追求が甘いと感じられる記述も見られるのですが、著者の「セックスしないセックス」という独特の言い回しに出発点を置く「テレフォンセックス」についての考察は、これからの広がりを予感させるものでもあり、著者による「テレフォンセックス」を主軸においた論考と単著が強く待たれます。
第5章では、時間と場所を選ばずにスマートフォンが一つあれば利用できるようになった「無店舗型テレクラ」を、著者が「路上のリンリンハウス」ととらえて、繁華街などで歩きながら即アポをしかけているテレクラユーザーを探索し、直撃インタビューを試みる、というような、無店舗型テレクラ時代のテレクラ利用についてのフィールドワークの無謀な営みが記述されています。
「リンリンハウス」のような場所が固定された店舗型テレクラと違い、スマートフォンを使って素人女性に即アポやテレフォンセックスをしかける人間がそれぞれ「移動するテレクラ」になってしまっている「場所」を持たない「無店舗型テレクラ」の時代においては、「フィールドワーク」のための「場」を見つけることからして困難を極めてしまいます。
その、当たり前といえば当たり前な「無店舗型テレクラのフィールドワーク」の「困難」と「頓挫」が、失敗談として面白おかしく語られているのが特徴的です。著者一人の手には余る無店舗型テレクラのフィールドワークは、これからの課題であるようにも感じられました。
第6章においては、店舗型テレクラが細々であれ残存し、無店舗型テレクラが発展するという現在の状況や、本書で論じられてきた様々な問題などを出発点にして、著者が「テレクラ」というものをどのように考えているか、ということが論じられ、今後のテレクラ探求の展望や、「ゼロ円リンリンハウス」という言葉についての解説がなされます。
テレクラの豊かさを探りながら躍動する著者の厳しくもしなやかな知性
テレクラから開始された著者の思考は自由闊達に羽根を伸ばし、リンリンハウスから始まる長期のテレクラ利用キャリアを通して著者が見出した新しいライフスタイルの提案、異性との出会いやテレフォンセックスによって明らかになる「他者」という存在の重要性などについて縦横無尽に論が展開されていきます。
また、ほとんどのテレクラユーザーが「男性が女性にお金を払ってセックスをする」という行動をとっているなかで、出会うことになったテレクラの女性を全力で楽しませることを優先する、セックスを目指して自分のためだけにテレクラを使うのをやめる、といった他者のためのテレクラ行動をとりはじめた結果、即アポに交渉したテレクラ女性から逆に経済的な支援をされることになり、それが「ゼロ円リンリンハウス」という著者自身の考え方に繋がっていくことになった、というルーツも語られています。
もちろん、テレクラの利用において完全な無料ということはありませんから、著者が「ゼロ円リンリンハウス」という言葉から推奨しているのは、「必要最低限の課金」でテレクラの可能領域を最大限まで引き出す豊かな精神性をそれぞれのテレクラユーザーがテレクラを通して獲得することです。
「テレクラ」の「あたりまえ」を徹底的に疑って、考えて、洗い直すところから「豊かなテレクラ」を改めて発見しようとする著者の姿勢にふれることで、テレクラユーザーとしての自らの怠惰さを突きつけられるようにも感じられました。
テレクラユーザーとしてのあり方や利用方法を根底から見つめ直す本書は、極論もふくまれてはいますが、驚くほどの射程距離を持っていることは間違いありませんし、テレクラを通してたえまなく思考を重ねてきた著者の「厳しさ」に裏付けられた、それゆえに優しい、強かな愛に満ちた一冊であるといえるでしょう。