
当時、建築家志望だった私は、様々な「建築」をめぐってスケッチをとる旅をしながら、思いついたアイデアをメモに書き留めたり、建築のヴィジョンを建築ドローイングとして描いていたものでした。
そんな旅の途上で、当時全盛期を迎えて街中に黄色い光を放っていた「リンリンハウス」の群れに出会った、というのは、もはや運命的であったといっても過言ではないでしょう。
有名建築を訪ねながら自分の矮小さや才能のなさをつきつけられていたタイミングだったこともあり、この「リンリンハウス」というテレクラとの出会いは、私にとって衝撃的なものがありました。
海外の人間がカプセルホテルを知ったときの驚きと、私が個室テレクラの存在を知ったときの驚きは、もしかすると似ていたのかもしれません。
アカデミックに建築というものをとらえようとして視野が狭まっていた私は、リンリンハウスという「キッチュ」な建築の前で立ち尽くしながら、自分が考える建築に関する「光」のようなものを、リンリンハウスのファザードにあたる黄色い看板から直接的に照射されるような感覚を味わったものです。
はじめは、どうしても入室することができませんでした。悪趣味極まりないリンリンハウスのファサードを手早くスケッチするだけにとどめて、その晩は、宿泊を予定していたホテルに逃げ帰るようにして移動したものです。
しかし、黄色い看板の光が私に与えた興奮は、ベッドに横たわってからも決して消えることがありませんでした。
「リンリンハウス」という言葉と、あの鮮烈な黄色い看板のイメージが、瞼を閉じて眠りに落ちようとする私の脳裏でチカチカと黄色い点滅とともにあらわれつづけて、熱病にうかされるような状態になっていた私は、ついに一睡もすることができませんでした。
翌日、ふらつく足取りで、ふたたびリンリンハウスのファサードの前に立つことになりました。しばらくは、ボンヤリとリンリンハウスの看板を眺めながら躊躇していたのですが、ついに、意を決してリンリンハウスの内部へと足を進めていったのです。
その「個室テレクラ」の内部構造、および、テレクラという空間で男性が何をするのか、ということを知るに至って、私は、「テレクラ」および「リンリンハウス」にすっかり「ぞっこん」になってしまいました。
一人の男性が狭い個室のなかに身を潜めて別の空間に身を置く女性とのアクセスの機会を電話回線をとおして獲得しようとする「テレクラ」という空間と、自分の建築のヴィジョンをどうにか重ね合わせることができないか、という「思考」が開始されるのに、そう時間はかかりませんでした。
それから、その「思考」が放棄されて、「リンリンハウスで女性をナンパして即ハメをする」という実践に身をやつしてテレクラ中毒になっていくまでもメチャクチャ早かった(そう、私は「テレクラ」で「建築」をやめました)のですが、その極めて短い「思考」の時間のなかで、かつての自分からはおそらく登場しえなかったような建築ドローイングが生まれたのも確かです。
リンリンハウスドローイングから無店舗テレクラまで
その当時、リンリンハウスで即アポをしかけながら、やがて建築を放棄するまでのわずかな間に構想した建築の代表的な3つのヴィジョンを少しばかり紹介しましょう。
ひとつめは「ウォーキング・リンリンハウス」です。これはひとつの都市の人口を内包するほどに巨大なサイズ(高さ100m、全長200mといったところでしょうか)の「リンリンハウス」にムカデのように足がついて、「都市」と「都市」の間を動きまわる「移動式」のリンリンハウスです。
この「移動式」の「ウォーキング・リンリンハウス」が様々な都市をめぐりあるき、その移動した先の土地にいる女性に即アポをしかける、という構想は、当時の私を興奮させたものでした。
ふたつめは「プラグイン・リンリンハウス」になります。これは、着脱可能な「リンリンハウス」を、すでにある他の建築に「プラグイン」として接続することで、あらゆる建物のなかに「着脱可能なリンリンハウス」を設置する、というプランでした。
この「プラグイン・リンリンハウス」が現実化されれば、オフィス街にあるビルなどにリンリンハウスを接続し、そのビル内にいるOLとの即アポの距離が縮まることにもなるのですし、「リンリンハウス」を接続させることを前提とした都市計画、というものも生まれ出るのではないか、と私には思われたのでした。
他にも様々な「リンリンハウス」の構想がありましたが、最後に紹介したいのは、やはり「インスタント・リンリンハウス」ということになるでしょうか。
この「インスタント・リンリンハウス」は、簡単に組み立て可能な「インスタント」な「リンリンハウス」を設計し、その「一夜城」のような性質によって、都市空間のなかに「サーカスの巡業」がやってきたように突発的に「リンリンハウス」を発生させたり撤去させたりすることが容易に可能になるものとして構想されました。
当時、地方などにはリンリンハウスが存在しない土地などもあり、出会いにおいてかなりの不便を感じておりましたから、この「インスタント・リンリンハウス」の構想は、必要に迫られたアイデアであったように思われます。
これらの「リンリンハウス」の未来型は、紙の上の建築、建築ドローイングとしてのみ構想されるのみでしたし、やがてテレクラ中毒になってしまう私は、次第に「建築」よりも、テレクラにおける「出会い」のような、「人と人の交通空間」のほうに関心が行くようになりましたから、実現化のための努力もはらわれることはありませんでした。
さて、十年以上ぶりにテレクラのことを調べておりましたら「無店舗型テレクラ」というものが登場していることを知り、私は大変驚かされることになりました。
というのも、この「無店舗型テレクラ」という新たな形態のテレクラが、当時、リンリンハウスを通して構想した「ウォーキング・リンリンハウス」や「プラグイン・リンリンハウス」、「インスタント・リンリンハウス」といったアイデアが、形は違えども、そのもっとも重要な「コンセプト」の部分がくまなく現実化されたものに感じられたからです。
私が無店舗型テレクラに激ハマりしたのは言うまでもありません。無店舗型テレクラを使いながら私の胸に去来するのは「不思議な感覚」です。無店舗テレクラを利用していると、かつて自分が構想しドローイングもした様々な「リンリンハウス空想都市」のなかで自分が泳いで即アポ&即ハメをしている、というような、夢の世界に迷い込んだような気持ちになることが度々あるのです。